筆者の家は、大阪に通じる伊丹郷町の中で、大坂道の街道沿いに店舗と住居を兼ねた酒造業の町家形式をもっている家屋である。大震災の影響を多少受けているが住居として現在まで使われてきた。家の棟札は見つかっていないが天保13年(1842)、年貢酒銘柄に「大星」の記録が残っている。注1)その時、どのような家屋が建っていたか分からないが、明治期、箟梅之介が当地の「大星」の酒造株を(「老松」が所有していた蔵)買って経営を引き継いだ。同じ場所で酒造が営まれていたと推察できる。
ここ10年でかつて大規模な酒蔵をもっていた会社が大量に土地を手放したこともあって、古い町家等が大規模なビル・マンション等に建て替えられていき、往時を偲ばせる町家が急速に減少した。又伊丹は大都市周辺に位置し利便性の良さからマンッションが次々と建ち、当時の町家の状況を調べるのが益々難しくなってきている。そこで今の内に残された家から聞き取り調査を通して伊丹郷町町家の特徴と独自性を解明していく必要があると考えた。
伊丹5丁目に古色然として存在する伊丹郷 町家 大星はいつから存在するのか?
この家はどれくらい古いのか。
残念ながら棟札等が残っていなかったので類推するしかないが恐らく度重なる改修により棟札などは失われてしまったのだろう。
古い地図を調べれば、どれくらい前からこの土地の上に家があったのかを知ることができる。
ここに文禄年間に作られた古地図を見てみよう。
赤丸の中がこの家の場所である。福円寺の字が見える。福円寺の前の道は大阪道といって大阪に行く目抜き通りであった。したがって街道筋には商家が並んでいる。この大星もこれ等の商家の1軒であった可能性がある。
次に八木哲浩氏編集[伊丹古地図修正絵図集]に収録されている「元禄7年柳沢吉保領伊丹郷町絵図解説図」を見てみよう。
大星あたりを見てみよう。
赤丸で示した領域は大星の家があるところである。
米屋与次右衛門がそれである。1694年である。隣家はいつも米喜と呼んでいた。米屋喜右衛門は米喜の由来であろう。隣家とは同じような古さのコンビであったのだから,326年前から家は存在していた。その一部分でも大星に残っていると思っている。中に入って古い梁や古い壁を見て300年前の家のささやきを聞くことができる。
その後,米屋は酒造場に変わった。
大正4年の地図には大星は武内利三郎の南蔵となっている。
そもそも大星とは老松の酒の銘柄である。
明治の年間に白雪の番頭をしていた箟梅之介が大星の株を借りて酒造業を始めた。
しかし、終戦時に廃業した。廃業と同時に箟家が武内家より大星の家屋を買い取り住居として使用してきた。
今回、耐震補強を施して新生大星シェアオフィスとして蘇った。
多くに人に利用してもらうことを願っています。
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